はじめに
1995年 1 月17日、阪神淡路大震災が起きた。
おれはそのとき兵庫県尼崎市に住んでいた。
乱暴に書くと、ぎりぎりセーフだったところだ。
西に隣接した西宮の被害は大きく、家屋の倒壊で死者も多数出た。
逆に、東に隣接した大阪市は、全くといっていいほど、被害を受けなかった。
おれの震災時の様子は
「1995年 1 月17日 尼崎にて」に詳しく書いたが、これはその続きである。
被災者だと言い切れないし、被災してないとも言い切れない微妙な立場からの9回に渡る報告である。
1
震災の朝、ちかくに住む弟の様子を見にバイクで向かっていたら、近所の友人に会う。
「おう」
「おう」
「すごかったなあ」
「うんうん。すごかった」
ふたりとも笑いながら、住宅街の道路上で立話。近くには崩れたコンクリートの駐車場の壁が見える。
この時はまだ停電中で、地震の情報はない。友人もおれも、皆そうだと思うのだが、自分が住んでいる 『ここだけの地震』 という、あとから考えたら不合理な錯覚をしている。
「ブラボー、今日ライヴちゃうの?」
「そやねん。ライヴやねん」
「やるの?」
「うん、おれはやろうと思ってんねんけど、『ブラントン』 開いてるかな」
「うわっ」
「うわあっ。・・・壁から離れはなれ!!」
大きな余震が来たのだ。
顔を見合わせて 「恐かったなあ」 と笑いあう。
近くの家から若いヤンキーカップルが裸足で小躍りして笑いながら表へ飛び出してくる。
弟は無事だった。
夕方、尼崎のライヴハウス 『ブラントン』 に行くと、閉まっていた。
あとでわかったのだが、神戸在住の当日おれをサポートしてくれる予定のギタリストは、被災の状況がひどい所で、命からがら逃げ延びていた。無傷。
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