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1995年 1 月17日 尼崎にて 5
はじめに    


  2月11日 午後

 灘区に着く。被害が大きく死者も多数でた場所だ。

 民家が軒並み倒れている。まともな家が少ない。ひとが住んでいるだけに三宮より見ていて辛い。ひしゃげた家のなかで生活しているところもある。



 避難所になっている中学校へいきダンボール一箱ぶんのチョコレート 「キットカット」 を係の若い男女に渡す。バレンタインは近い。

 「できるだけ子供に分けたってえな。大人がみんな食ってもうたらあかんで」 冗談半分に言う。

 「わたしもほしいな」 女の子。

 「だめ。子供だけ」

 「わたしも子供やもん」

 「しゃあないなあ。一袋やるわ」

 おもしろい娘やと思いしばらく喋っているとどうも幼児言葉が気に掛かる。高校生くらいの歳なのに小学生の話し方。

 彼女、まわりのボランティアにチョコレートを配り始める。帰ってくるとみな無くなっている。

 「きみのぶんは?」

 「みんなに配ってしもうた」

 彼女も被災者で家が潰れたと言っていたから、ひょっとしたら肉親が・・・・。そう思ったが、訊けない。

 彼女が精神的にまいっているのか、それともおれの思い過ごしか、わからぬまま避難所を後にした。


つづく

by bra-net | 2005-01-19 13:24 | 阪神淡路大震災 | Comments(1)
Commented by panchan1121 at 2005-01-21 13:08
読ませて頂きました。
余震で、なんとか建っていたビルが倒れたり、4日間くらい燃えさかった町をみると、こんなに簡単に壊れるのか?と思ってしまったのですね。

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